大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

札幌高等裁判所 昭和32年(う)97号 判決

控訴人 原審弁護人 野口一

被告人 敬介こと川口啓介

介護人 野口一 外一名

検察官 升田律芳

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人野口一、同村部芳太郎各提出の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

右各控訴趣意第一点(いずれも事実誤認)について

各所論は、要するに、被告人は、本件当時瞬時を争つて火災現場に赴むくべき任務をもつて原判示消防タンク車を運転中本件事故現場にさしかかつた際、道路の両側に並列していた群衆の動静からそれらが自己の運転する消防タンク車の進行を覚知し、その進路を妨げる状態にないことを現認しつつ、なお、万一の危険を防止するため、その速度も許容範囲の半にも達しない時速約三五粁に減じて進行を継続していたものであつて、この間被告人には何等前方注視の義務や事故防止の義務を怠つた過失ありとされるいわれはなく、本件事故は、まつたく被告人において予見し得ずまた予想もしなかつた児童の二人乗り自転車が無暴にも突然被告人の運転する消防タンク車の左前部附近にあらわれたのを避ける間、被告人としては、その能力のおよぶかぎりを尽したにもかかわらず絶対不可避の状況下において発生したものであるから、被告人には右結果につき責任を帰せしめ得ないとして事実誤認を主張するのである。

しかし、消防タンク車の如く急速力を維持して進行することを可とする自動車に対して、一般の車馬通行人がこれに道を避譲する義務が課せられ、その速力も時速八〇粁までは出し得ることを許容されている所以のものは、かかる業務の社会的使命ならびに効用を重視したことによるものではあるが、さればといつてこれがため、その運転の業務にあたる者に対し、他の一般自動車のそれに比して前方注視ないし事故防止の義務を免除ないし軽減するものではなく、かえつて、かかる義務に従事する者にこそその業務行為にともなう危険に対処し得るだけの能力をもつて当該行為ができるだけ安全になされることが法秩序の立場から当然に要請されるものであり、したがつて、結果発生を決定的ならしめる段階をきり離して考察すれば注意能力をかくとして過失責任を問い得ないようにみられる場合でも、その以前の段階においてすでに注意義務に違反する行為が存する場合には、なお、義務懈怠による過失があると解すべきである。

そこで、本件について按ずるに、原判決がその挙示する証拠によつて認定するところは、被告人が火災現場に赴くため、すでに先発した原判示三台の消防車につづいて本件消防タンク車を運転して時速四〇粁の速度で原判示三さ路の手前にさしかかつたが、右三さ路は、北西方に約三〇度曲り、当時その進路附近両側には消防車の相つぐ通過によつて多数の通行人見物人等が立ち並んで道幅を狭めており、とくにこの道路の曲角の外側(進行方向に対して右側)には多数の児童、幼児等の一群が前面に立ち並び、右曲角の先方には人家があつて見通しがきかない状況にあつたこと、また、被告人の運転するタンク車には収容可能の全量三トンに充たない約二トン半の水を積載していただけであつたため急停車には若干の困難をきたす実情にあつたことと前記のように高速度で疾走していたこととによつて急停車または急角度のハンドル操作が著しく困難となつていたことを知りまたは知り得べかりしにもかかわらず、前記曲角の手前三〇米の地点で時速約三五粁に減速しただけで、同所を安全に通過し得るものと過信し、他に特段の危険防止の措置を講ずることなく、漫然疾走して右曲角を左折しようとしたため、道路左側から出てきた児童の二人乗り自転車を突然自己の車の左前部附近に発見するや、あわててハンドルを右に切りこれを避けたものの、急停車の措置もまた前方の曲角に立ち並んでいた前記児童等の一群を回避する措置をも講じ得ない結果となつて原判示のような本件事故発生を見るに至つたという趣旨に解すべきであつて、右事実は前掲証拠によつて優に認め得るところである。されば、本件事故発生の決定的瞬間をとりあげるならば、被告人はもとよりその能力のおよぶかぎりを尽したものとみられないでもないか、当審で取調べた各証人の証言や鑑定人土屋清治作成の鑑定書によれば、被告人は必ずしも運転技倆が充分とはいえず、本件事故発生の重なる原因はその技倆拙劣に起因することが認められるのであり、これに原判示認定の本件事故発生以前の段階における状況をよく検討すると、原判示の状況下においては、群衆は一応被告人の運転する消防タンクが疾走してくるのに気ずいてこれに道を避譲していたとはいえ、なお、その進路は群衆で相当狭められていたのであり、その中には消防活動の何たるかに理解の乏しい児童や幼児の一群が前面に押し出ていたうえに、相ついで消防車が通過した後であつてみれば、群衆の中には或はもはや後続の被告人のタンク車に気付かずにいるものがないともかぎらず、これ等無智または訓練の乏しい群衆が何時その進路を妨害するかも知れないことは容易に想像し得る事情にあつたと認めるのが相当であるから、前説示に照し、被告人としては、かかる場合を考慮して危険を未然に防止し得るよう充分減速して進行するか少くとも何時でも急停車し得るだけの措置を講じてこれに対処すべき注意と能力とを要請されていたものというべきであるのに、被告人は本件タンク車の性能や自己の平素の技倆を忘れ、単に時速三五粁に減じただけで前記注意を怠つたため本件事故をひき起すに至つたものと判断せざるを得ない。原判決が被告人に対して認定した本件過失責任も右と同一趣旨に帰するものと解せられるから、原判決には何等事実誤認はなく、これと異なる見解に立つての各論旨は理由がない。

同各第二点(いずれも量刑不当)について

本件記録から認められるように、本件事故発生の態様、ことにそれが過失とはいえ、前段説示のように被告人において自己の技倆を反省するとともにその要請された注意義務を遵守するにおいては当然避け得られたものとうかがえるにもかかわらず、これをかいたため、瞬時にして多数の人命に危害を加え、とりかえしのつかない重大な結果を招来したこと、その社会に与えた影響その他諸般の事情を総合すると、原判決が被告人を禁錮一〇月の刑に処し、これに三年間刑の執行猶予を付したのは、まつたく、本件事故が心なき児童の二人乗り自転車の出現に端を発し、さかのぼつては、かかる危険な場所に本件被害者等のような児童、幼者の多くを蝟集せしめて放置していた群衆の社会的訓練の不足の責に帰すべきものがないでもないこと、さればこそ、被害者側においても責任の一半を感じて被告人に対する寛大な処分を念願するに至つていること、さらにまた、本件事故の終局の責任者側に立つ釧路市において被害者側に対し事故発生直後すみやかにその補償の方途を講じ、できるかぎりの慰藉をしていることその他各所論の事情を十分考慮に容れたうえのことであると認められるのであつて、消防制度の本質が正当に理解されるかぎり、右量刑が消防一般の活動を阻害する結果をもたらすほど不当に重いとは到底認められないから、この点の各論旨も理由がない。

よつて、刑事訴訟法第三九六条によつて本件控訴を棄却すべきものとし、同法第一八一条第一項本文に従い当審における訴訟費用は被告人の負担とし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 豊川博雅 裁判官 羽生田利朝 裁判官 中村義正)

弁護人野口一の控訴趣意

第一およそ過失犯が成立する為には、被告人においてとることを要求される具体的措置が如何なるものかを認識すべき状況にありながら、不注意により該措置の必要を認識せず、これを怠ることを要する。原判決はまず現場附近の地理及び群衆の配置を描写し、被告人の運転するタンク車の走行状態を説明した後かかる場合の被告人としては、群衆の動静を間断なく監視して通行の安全を確認して進行することは勿論、通行人が危険な行動に出ることも予想して、このような場合の処置にも対処できるような態勢をとること(原判決は減速徐行をあげている)を要求している。

1、右のような具体的状況にある場合、群衆の動静を間断なく監視のうえ安全を確認して進行しなければならないことに異論はないし、通行人が危険な行動に出ることを予想することも被告人に課せられた注意義務の一つの内容であることについても原則的には正しいとしなければならないが、ただこの点につき問題としなければならないのは被告人の運転するタンク車は出動消防車(緊急自動車)であり、一刻を争つて火災現場に赴かねばならない状況にあつたことである。

(イ) 法律は出動消防車につき、消防法第二十六条第一項で「消防車が火災の通報に応じて現場に赴くときは車馬及び歩行者はこれに道路を譲らなければならない」と規定し、第三項で「消防車は消防署に引き返す途中その他の場合は鐘又は警笛を用い一般交通規則に従わなければならない」と規定して、出動消防車に対して一般の協力義務を要求すると共に消防車が火災現場に赴くまでは道路交通取締法その他の一般交通法規に拘束されて徒らに消火の機会を失うことのない様に考慮している。

(ロ) 又被告人の運転する自動車はタンク車であつて、常に水を積載している関係上、火災の時には火元の最も近くによつて即時放水が可能である為一般ポンプ車より火災発生時には更に早く現場に到達する必要があつたと判断されるし更に又被告人のタンク車が出動した火災はぼや程度で消しとめられるかどうか判らなかつたので現場に急行しなければならない事情にあつた(証人工藤栄の証言、記録二百九十丁乃至二百九十四丁)と認められる。

もとより火災による財産上の損害を防止すること、交通事故による人の身体に対する侵害を防止することは、その対照とされる保護法益からみて後者に比重をおかねばならないこと勿論であるが、「無責任な群衆の危険な行動に対する予想」を重視する結果消防活動を阻害するような結論付けをすることは角をためて牛を殺すことになりかねない。右のようなことを考えてみても原判決が言う「通行人が危険な行動に出ることを予想する」ことに対する被告人の責任については自らその限界があるものと言はねばならない。

更に右の点に関し原判決を検討するに後段において「道路左側から出てきた児童の二人乗り自転車を突然自己の車の左前部附近に発見し云々」と論述し、二人乗り自転車が車の前方に出てきたことが本件事故の直接の誘因になつていることを認定する為に「危険な行動」に対する予想を注意義務の一つの内容にわざわざあげたものと思はれるが「危険な行動をとつた右自転車をあらかじめ現認しなかつたことが既に注意義務(前方注視義務)違反になるのか又はそのことはともかくとして危険な行動そのものの予想をしなかつたのが違反になるのか原判決では必ずしも明かでない。かりに前方注視義務に既に違反しているとの認定であるとすれば、被告人は右自転車を自己の運転する車の左前頭部バンバー約二米の距離において始めて発見しているが、(実況見分調書八十三丁)この発見がおくれたのは道路両側に人垣が出来ていて、右自転車は最初この人垣の中を縫うようにして走つていたものであるから(松田庄司の検察官に対する供述調書記録十九丁、二人乗り自転車の捜査報告と題する書面記録七十五丁)時速三十五粁の自動車上から人垣を区別してその自転車をあらかじめ現認することは至難のことに属すると見なければならない。このことは被告人の左側助手席に同乗し、前方左右を監視することのみに専念していた松田秀夫が一旦東の三十米くらい前方に二人乗り自転車を発見しながら一時見失つたこと、二回目に現認したのはタンク車の左前頭部バンバー二・三尺先においてであること(松田秀夫の検察官に対する供述調書記録二十九丁乃至三十一丁)更に左側ステツプに同乗していた小出隆男及び右側ステツプに同乗していた青木恒一郎が、被告人と殆んど同時に自転車を現認したことによつても(小出隆男の検察官に対する供述調書記録四十六丁、青木恒一郎の司法警察員に対する供述調書記録六十一丁)これを窺い知ることが出来る。しかし右自転車は突然タンク車の前方にふらふらと出てきたものであるから(前顕松田庄司、松田秀夫、小出隆男、青木恒一郎の各供述調書)この時に該自転車を現認した被告人に前方注視義務違反はないものと思はれる。次に二人乗り自転車がとつた危険な行動の予想義務についてはあらかじめ自転車を現認することを要求されるのならば格別そのような事情にないこと右のとおりであるから前述のような立場からその違反については、被告人の責任を問うことは妥当でない。換言すれば二人乗り自転車の危険な行動を予測しうるような状況になかつたから、冒頭に述べた具体的措置の必要を認識しなかつたとしても被告人に過失は成立しない。

2、しかも被告人の運転状況を詳細に検討すれば、群衆の動静を間断なく監視し、更に二人乗り自転車のような行動は別論として通行人が危険な行動に出ることを予想して運転していたものと認めることが出来る。即ち、

(イ) 当時の群衆の集合状態からして道路の中心線より幾分右側を走つたこと(被告人の検察官に対する供述調書記録二百三十一丁松田秀夫の前顕調書二十九丁)。

(ロ) 被告人は本件道路を数回通つていて(被告人の司法警察員に対する六月三十日附供述調書二百四十六丁)よく現場の状態を知つており更にタンク車の運転については練習を積んでいて(被告人の原審公判廷における供述)緊急自動車でありながら(道路交通取締法施行細則北海道公安委員会規則第十二号によれば緊急自動車の最高速度は時速八十粁)あらかじめ曲角三十米くらい手前から時速を三十五粁くらいに減速して走行したこと(被告人及び松田秀夫の検察官に対する前顕各供述調書。)によつて明かである。

3、更に原判決が認定したように二人乗り自転車との衝突をさける為ハンドルを右に切つた結果本件事故をみたのであるが、若しハンドルを右に切らずに直進するとすれば、自転車に乗つていた二人の児童に損害を与えるだけで、本件のような重大な結果は発生しなかつたと認められる状況にあるが(小出隆男の前顕供述調書その他)原判決はその際右自転車を避けることのみに気を奪はれた結果急停車の措置も曲角外側に立ち並んでいた児童の一群を回避する措置をもこうじ得なかつたとしている。この点については

(イ) 実況見分調書によるとタンク車は二人乗り自転車を発見した(1) 点から(A)点を通り立木に衝突して停車した(チ)点に至る迄半円形をなして進行したことになつている(実況見分調書記録八十四丁、八十九丁)。又被告人の司法警察員に対する六月三十日附供述調書によると同様に半円を画いて停車した旨述べている。(記録二百五十五丁)佐藤作次の検察官に対する供述調書によると、タンク車が二トン半の水を積載して、時速三十五粁で走行していた場合惰力と重量の関係から急にハンドルを切ることは困難なことが認められるが(記録六十四丁)被告人は最初(1) 点で三十度の角度でハンドルを右に切り(実況見分調書記録八十三丁)その後前述のように左に半円を画いて停車しているわけであるから突嗟に左にハンドルを再び切つたものと思はれる。而もそのハンドルは通常の場合でも操作困難なところ、右に曲つた直後のことであるから水槽内の水の遠心力は一せいに右に働くことになり、左に充分切つても余り効果をあげ得なかつたことが予想され、被告人が一群の児童等を認めているかぎり左ハンドルを切つたかどうかは別論としても被害者等を回避し得なかつたと思はれる状況にある。

(ロ) 次に原判決は急停車の措置をもこうじなかつたと認定しているが、実況見分調書によるとスリツプの痕なく、激突の為かどうか不明だがサイドブレーキは手前に引いた様になつていたこと(記録八十五丁)及びサイドブレーキは手前の方に引いてあつた旨の小出隆男の前顕供述調書(四十七丁)よりして原判決の断定に疑問を持たざるを得ない。又タンク車は時速三十五粁であつたから一秒間に九米強進行することになるが、被告人が「やつた」(轢いた)と感じた地点(A点)は実況見分調書によると、ハンドルを右に切つた地点(二点)より十五・八米の距離にあるから(記録八十三丁、八十九丁)二秒たらずでA点より二点に達することになる。しかして佐藤作次の前顕供述調書によると急制動をかけた場合停車するのに十二乃至十六米進行して停るから、時間にすると一・三乃至一・八秒かかることになる(記録六十四丁)。そこで被告人が右ハンドルを切つた直後A点に立ならぶ児童を現認し、急制動の措置を採るとすれば、ブレーキを踏むにいたる決意と動作に若干の時間を要し、かりにブレーキをかけなかつたとしても、本件事故発生を防止することの出来ない事情にある。

したがつて原判決のように、あわててこれを避けることだけに気を奪われハンドルを右に切つただけとは断言できない許りか、以上のようなことからハンドルを左に切つて回避すること、急制動をすることが、本件事故発生を防止する為の絶対的な手段であるかの如き認定は正確とは言い難い。

4、結局被告人に本件結果に対する責任は無いものというべく、認識すべきことを業務上期待しうべき具体的事情のもとにありながらこれを認識しなかつたとして被告人の過失の責任を問うた原判決は判決に影響を及ぼすべき事実の誤認があるものと言はねばならない。

(その他の控訴趣意は省略する。)

弁護人村部芳太郎の控訴趣意

第一点原判決には事実の誤認があつて、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである。

第一原判決はその理由中において被告人に対し抽象的注意義務として、原判示の如き本件現場においては、「前方左右の群衆の動静を間断なく監視して通行の安全を確認しつつ進行するのは勿論、通行人等が危険な行動に出る等の事態の発生を予想してそのような場合にもこれを安全に回避して他の群衆に危害を与えることのないように予め前記曲角の相当手前から安全な運転操作ができる程度に減速徐行するなど慎重な措置を講じながら進行する業務上当然の注意義務がある」と論断し、被告人の具体的注意義務違反としては「前記の曲角の手前三十メートル位の地点で時速三十五キロメートル位に減速しただけで漫然同曲角を疾走して左折しようとしたため道路左側から出てきた児童の二人乗り自転車を突然自己の車の左前部附近に発見してあわててこれを避けることだけに気を奪われハンドルを右に切つただけで急停車の措置もまた前方の曲角外側に立ち並んでいた前記児童等の一群を回避する措置をも講じ得なかつたため」に本件の如き事故を発生させたものと判示しておるのである。

第二、それでは先ず第一に被告人に原判示の如き前方注視義務違反があつたか否かを検討したい。

一、原審検察官もその論告要旨において、被告人が原判示の児童の二人乗り自転車の発見を遅延したことが本件事故の最大原因であるとせられておる。

誠に記録上においては本件タンク車の助手席に乗車しておつた松田秀夫は右二人乗りの自転車を約三十米位の手前で発見したと供述しておるに反し(記録三十丁)、被告人は右自転車を自己の運転する車の左前頭部バンバー約三米の距離において始めて発見しておるのである。(記録第八十三丁)

二、被告人が右の如く近々三米の地点において右自転車を発見したことは一見前方注視義務違反がある如く感ぜられるが仔細に検討すればその然らざることが判明するのである。即ち実況見分調書添付図面により明らかな如く本件現場附近の道路幅は十三・八米もあるがその舗装道路巾員は七米でありその中心線により左右三・五米宛に分けられておるのである。(記録八九丁)

そうして被告人は巾二・二米の本件タンク車を、右舗装路上の中心より稍々右側寄りに運転しておつたことは右松田秀夫被告人の各検察官に対する供述調書において明らかである。(記録二九丁、二三一丁)

一方当時本件路上には、被告人の運転した本件タンク車並びに先行した消防車三台の通行を見物する為に、沿道の人々は本件路上の左側には舗装道路の端迄、人垣を作つて立並びその人垣の中を縫うように右二人乗りの自転車が本件タンク車の進行方向に進んでおつたのである。(記録第一九丁、第七五丁)

したがつて被告人はその自転車の運行に何等の危険も感じなかつたから別に意に留めていなかつたに過ぎないのである。そうして被告人は右二人乗りの自転車が突如本件事故現場の舗装道路に飛び出して来た際に直ちにこれを発見したのである。

即ち、被告人がそのタンク車のバンバーより約三米の手前において発見したという事実は、前述の如く本件巾員七米舗装道路の中心より稍右側を巾二・二米のタンク車を運転しておつたのであるから、右三米とは右人垣より一歩舗装道路に右二人乗り自転車が飛出した瞬間において発見したことになるのであつて右の発見は被告人に対して何等の前方注視義務懈怠とはならないのである。

三、何故ならば、被告人が右地点に二人乗り自転車を発見したことは本件事故につき、何等の因果関係がないからである。

即ち、過失犯は被告人と同等程度の通常人を本件被告人の立場に置きかえた場合、通常人ならばかかる場合において危険を感じて相当の措置を講じて本件事故を発生させなかつたであろうことが期待される場合にのみ成立するのである。

当時被告人とその助手席に同乗せる自動車運転免許を有する松田秀夫は、被告人の発見した地点より約三十米手前にて右自転車を発見したが何等の危険を感ぜずに他に目をそらした程であつて(記録第三十丁)被告人が右松田秀夫と同地点において右自転車を発見したとしても、特に必要以上に、即ち本件現場では時速三十五粁以下に減速しなかつたであろうことが推測されるからである。

その理由は、小出隆男、松田秀夫、青木恒一郎等が供述する如く(記録三七、四六、六〇丁)本件タンク車は先行のタンク車に約五十米の間隔をおき(記録第二六六丁)サイレンを吹鳴し続けて、その近接の危険を告知しながら運行しておつたから、その危険が身近に迫つておる事実を十分に知得し得る右二人乗りの児童等が自殺を計る者である以外には本件タンク車の行方を突如として閉塞するなどというが如き、暴挙をなし遂げるとは夢にも予知しないからである。

にも拘らず原判決の如き措置を業務上当然の注意義務なりとして総べての運転手に要求するならば、その寸秒を争う消防自動車の運転は全く不可能となるに至ることは明々白々であつて、原判決の要求する注意義務は全く結果論から推した机上の空論に過ぎないものであつて、何人といえども被告人が発見した時点における具体的危険が発生した場合にのみ、避譲の措置を講じるものであり、右の事実は本件タンク車に同乗した小山隆男、青木恒一郎が被告人と殆んど同一地点に右自転車を発見した点からも窺知し得るのである。(記録第四六丁、第六十一丁)

従つて右時点に被告人が右自転車を発見したことは、前方注視義務懈怠とならないばかりか、右時点における発見と本件事故とは何等の因果関係がないのである。

第三次に右の如く道路の両側に人垣のある中を時速三十五粁にて運行したことにつき被告人の過失の有無を検討したい。

松田秀夫は検察官に対する供述調書において「浪花町通りへ出て間もなく交番の附近で自動三輪車を一台追越しただけで、それから先は追越した車もすれ違つた車もありませんでした。曲角附近の状況は、道路の中央部の舗装されてある部分の近くまで左側の方は人垣が出ており、右側の方は砂利敷きの歩道が大分すいていました。両側とも前からずつと人垣が続いておりました、こんなわけでタンク車は舗装道路の中心線よりやや右の方を走つていたのですが、この様な状況のところを進んで行くことは消防車にはよくあることで私は別段危険も感じていませんでした。車と人垣の間は両方とも大体二・三米は距離があつたと思います」(記録第二九丁、三六丁)と供述しておるのである。

即ち消防車はその最初の寸秒の差において、大火となることを防ぎ得るものであるが故に、その火災現場到著は緊急を要するものであることは贅言を要しないところである。従つてその途中において本件現場附近の如き状況であれば道路交通取締法施行細則に基く北海道公安委員会規則第十二号によれば緊急自動車たる本件タンク車は最高時速八十粁迄許容されておるにも拘らず被告人が運転した時速三十五粁の速力は遅きに失するとも早きに失することはないのであつて、この点においても被告人の過失は存在しないのである。

右の点につき、原審が本件タンク車にその先行せるタンク車ポンプ車を運転した運転手につき、本件現場を通過した速力につき審理を尽さなかつたことは審理不尽の違法があるものである。

第四最後に被告人が前記二人乗り自転車を発見してから採つた措置につきその過失の有無を検討したい。

一、松田広司はその司法警察員に対する供述調書においては、「二人乗りの自転車がフラフラしながら道路の中央迄行つたのです。中央というのは道路の真中に線が引いてあり、その線より一尺位寄つた位置」(記録第二十四丁)であると供述し、その検察官に対する供述調書においては「二人乗りの自転車が道路の中央線より五十糎位左側へ寄つたところまで進んでいました」(記録第十八、十九丁)と供述しておる。

しかして本件舗装道路は前述の如く、全幅七米、左右各三・五米の巾員よりなく、一方本件タンク車は二・二米の巾員を有し、右舗装道路の中心より稍右側を運行しておつたのであるから、その道路の中心より左方三十糎乃至五十糎の地点に無暴にも進出し来つた右自転車を避譲しようとするならば、被告人が仮りに急ブレーキをかけてハンドルを右に切つたとしても前述の通り適法に時速三十五粁の速力を出しておる本件タンク車は本件舗装道路の右端は車体は除き、僅か一・五米乃至二米位の余裕よりなかつたのであるから当然にその右端を脱して砂利敷道路に飛出すべきことは必定である。

そうして舗装道路の右端を脱したならば、舗装道路右側に立ち並んでおつた児童等に死傷等の事故を与えたであろうことも必定である。

二、更に原判決が判示する如く「被告人の運転する自動車はその水槽に約二トン半の水を入れていたことと、前記のように高速度で疾走していたことによつて前進惰力が強いため急停車又は急角度のハンドル操作が著しく困難となつていた」のであるから被告人が前述の如き操作をしたならば、被告人が危惧せる如く、その惰性により本件タンク車は、そのタンク内の水の動揺により転覆して、本件事故より更に大なる事故を発生させたかも計り知れないのであつて(記録第二五一丁)何れにしても、当時の状況よりすれば死傷事故の発生は免れ得ない状態にあつたものである。

三、右の点につき本件タンク車操縦の熟練者である佐藤作次は検察官に対する供述調書において、急カーブの場合は他の車より相当減速しなければならない、水二トン半を積載し、時速四十粁で走つていて急制動をかけた場合十二、三米乃至十五、六米で停車する旨の供述をなしておるが前記本件の具体的場合においては、如何なる結果になるかを供述しておらないのであるから、原審はよろしく現場検証をなし本件の場合に急制動をかけてハンドルの操作をなしたならば、如何なる結果になるかを審理すべきであつたにも拘らず、右の点に関する審理を尽さなかつたのは、重大なる審理不尽の違法ありと確信して疑わない次第である。

四、更に前述の如き実質七米の道路上を時速三十五粁にて二・二米の巾員を有する本件タンク車を操縦し来つた被告人が突如としてその中央に突進し来つた前記自転車を発見して全能力を振り絞つて辛ろうじてこれを避けた途端に、その眼前に現出した人垣に驚愕し、然も必然的に最初の右側にあつた自転車をひき倒した場合において、かかる結果が発生することは、被告人と同程度の人間ならば到底に避け得ない結果である。法は全智全能の人を対照としてその過失の有無を規定しておるのではなく、被告人と同程度の通常人を対照として規定しておるのである。

しからば松田秀夫が司法警察員に対する供述調書において「運転手は最初あの自転車が出て来たのを避けるのに本当に手一杯のところで、どうにかそれを交した途端、車はすでに右側に並ぶ人垣にあまりにも接近し過ぎ、それ等を避けることが出来なくそのまま突込んだと思います」(記録第三九丁)と供述しておる事実こそ、誠に真理と言わなければならないのである。

第五以上の如く本件事故は正に不可抗力によつて発生したものであつて、これを有罪と認定した原判決は、その審理不尽の違法により事実を誤認したものであり、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるので、この一点において破棄を免れないものである。

(その他の控訴趣意は省略する。)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例